古代プラテエス(プラタイア)(1) |
Αρχαίες Πλαταιές (Πλαταιαί)
Ancient Plataies
ヴィオティア(ボイオティア)県プラテエス共同自治体
Νομός Βοιωτίας,Δήμος Πλαταιών
Viotia(Boiotia/Boeotia)Prefecture,Plateies Municipality
プラテエス(Πλαταιές)という地名はプラテア(Πλάταια=プラタイア)の複数形に
なり、古代の複数形はプラテエ(Πλαταιαί)です。
地名が複数形になるにはプラテア(Πλάταια=プラタイア)の支配下に含まれる地域は
複数形で表現されました。
古代から近代まで地名は複数形で表現されたわけですが、
現代では単数形と複数形の地名が混在するようになりました。
古代プラテエスの遺跡は城塞のようなものが残ります。
下の写真は塔だったところです。古代プラテエスは堅固な城塞は風化しています。
このような城塞の中で、プラテエスの政治家と同時に軍人たちは、
国を守り、存続させていくために、いろいろ苦慮していた時代があったわけです。
昔の政治家は軍人でもあるので、責任がはっきりしています。
そして負ければ住民は奴隷にされてしまうかもしれないので、勝たなければなりません。
もっともつらい戦争は他民族との戦いです。
ペルシア軍との戦いで負けたら、土地だけではなく言葉も失われ、
住民は他国に奴隷として売られてしまうかもしれません。
陸続きの国というものは古代から今に至るまで、国境線でもめているのです。
みんな仲良くすると、調子の良い外国人ばかりになって、いつの間にか外国になるのかも。
それに仲良くは難しいです。ヨーロッパが静かになったといっても、
この前のユーゴスラビア動乱もありました。
民族同化は民族問題激化させるのかなぁと思いました。
民族というのはそれぞれ慣習があり、同化するのは難しいのです。
国家、民族という意識は陸続き国々のほうが、日本よりも敏感であります。
このプラテエスの平野で、紀元前479年8月に、
プラタイアの戦い(Μάχη των Πλαταιών=マヒ・トン・プラテオン/Battle of Plataea)
という歴史に残る大戦がありました。
ペルシア軍をギリシャ連合軍がここで駆逐したのです。
詳しくは→プラタイアの戦い
プラテア(プラタイア)という地名は、
神話によると、川の神アソポスの娘プラテア(プラタイア)から来ています。
川の神アソポスには美しい水の妖精の娘たちがたくさんいました。
彼女たちは大神ゼウスによって連れ去られてしまう話が出てきます。
人の住むところには水源が必要なので、
古代ギリシャの地名には水の妖精の名前もけっこうあります。
神話の中では、美しい妖精たちはゼウスに連れ去られた場所の水の守り神になり、
その地に先祖の母になっている例もあります。
たとえばクレオネ(クレオナイ)、エギナ(アエギナ)、
オイノエ、そしてプラテア(プラタイア)、、。
妖精プラテア(プラタイア)にゼウスとの間の子があったかどうかはわかりません。
写真の泉はプラテア(プラタイア)に泉というのかどうか知りませんが、
この水はキタイローン山からの湧き水のようです。
神話ですが、このような清流というか清からかな水の湧き出る泉がここにありました。
今はこの水は飲まないかもしれませんが、このように懇々と湧いているのです。
清らかな水の音も聴こえます。すばらしい!
古代遺跡の廃材のようなものが泉の周りに落ちています。
バスタブにしては小さいですが、台所のシンク(洗い場)の大きさくらいでしょうか、、。
この石の大きさは同じで、同じように削ってあります。
古代はこの小さなバスタブのようなものが四角形の部屋にぐるり置いてあったのかも、。
水を汲み人や、何か洗う人などいたかもしれません、、わかりませんが、、。
道路脇にも古代遺跡の廃材が積んでありました。
古代の廃材はどこか教会や家の壁にでもなってしまったのでしょうか、、。
プラテエスの平野は豊かです。広い農地をトラクターが動いていました。
毎日CNNの経済ニュースでギリシャが出てきますが、
まぁ食料自給率!これが高いので、国民は食べていけるのだとは思います。
古代遺跡の廃材は草の中にゴロゴロあります。
片付けるのもたいへんなのか、そういうところには畑は作らないようです。
古代プラテエスの人たち、中世プラテエスの人たち、どのように移動したか、
遺跡を見ると分かります。遺跡の近くに村が必ずあります。
古代の人は家が壊れたり、水が出なくなったりすると、
近くのまっさらな土地に、みんな移動して、廃材を自分のところから持ってきて、
家を建て直していたのかなぁと思いました。
現代はブロック、鉄、コンクリートなどの材料が豊富で、廃材利用はありえません。
プラテエスの向うにそびえるのがキタイローン山です。
ギリシャの地名を日本語にする時、古代、現代、英語、イタリア、ドイツ、
フランスも参照しますが、難しいですね。
アテナもの複数形はアテネ(アテナイ)であり、アテンズであったりするのです。
また一般的にテーバイと知られる古代都市国家は、現在ティヴァと表記されます。
ちなみにティヴァの複数形はティヴぇで古代ならティヴァイかもしれません。
古代ギリシャ語の研究をした中世オランダ人エラスムスも誤読も多く
流布されていますから、日本に到着した頃には、また発音も変わっていたりして大変です。
そういう風に言うギリシャ人とかフランス人がいるんですが、なんだか混乱します。
それに古代の地域の方言もあるとかないとか、、、気長にやっています。
さて古代にこの地にあったとされるヘラ神殿の場所は分かりませんでした。
遺跡発掘は遠の昔に終わっているようで、何も行われていないようです。
何か、資料があるとよいのですが、相変わらず資料はパウサニアスの旅行記です。
日本語版のパウサニアスがほしいです。値段が2万円以上するので、
ネットの英語版を利用しています。そのうち買いたいと思っています。
お手間をかけて申し訳ありませんが
投票よろしくお願いします。
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投票いただき、まことにありがとうございました。
パウサニアスの旅行記は思っていたよりも専門的な書き方ではなく、読んだ時には拍子抜けしました。おもしろかったのはナルキッソスに関しての記述でした。
彼は泉に映った自分の姿の恋して水に飛び込んだわけですが、「恋のできる年齢なのに、水面に映った姿かどうかも分からないのはなさけないことだ」というようなことを言っています。パウサニアスの人間臭さが垣間見られる一文でした。
いつか手に入れられるといいですね。
私はネットのネットで自動翻訳で、テキトーに理解して、ブログを書いています。
パウサニアスの見たのと同じものを現代に残っているのかを楽しみに歩いています。