二つのピタゴラス像 サモス島ピタゴリオ |
Δύο Αγάλματα του Πυθαγόρα
Two Statues of Pythagoras
サモス ピタゴリオ
Σάμος Πυθαγόρειο
Samos Pythagoreio
偉大なる数学者ピタゴラス(Πυθαγόρας/Pythagoras)は
サモス人ピタゴラスと当時の人たちは呼びました。
古代都市サモスのあったところはピタゴラスの名をとって
ピタゴリオという地名になっています。
彼は紀元前580年にサモス島に生まれ、
紀元前496年にイタリアでその生涯を閉じました。
二つのブロンズ像で最近のものです。
ピタゴリオ海岸のピタゴラス像
彼の生涯について、説が多く、その中で面白いと思ったのは、
彼が母親のお腹にいたとき、デルフォイの神託で、
生まれる子は大神ゼウスの自慢の息子アポロン神の次の息子であると
言うのです。ゼウスの子、、いわゆる神童として、
生まれる前から騒がれていたようです。
ピタゴラスという人物は数学者にして哲学者であります。
その人生は数奇であり、
エジプト、小アジア、クレタ、アルゴス(へーライオン)、ペルシア、インド
行ったかもしれないという話しです。
そして最後はイタリアへ渡り、そちらで生涯を閉じます。
その閉じ方も各説あります。
ピタゴラスに関しては興味深い話があります。
その誕生、その生涯、菜食主義、数学者でありながら輪廻を信じていたようです。
彼は小アジアのミレトスに住むタレスのところで勉強してから、エジプトへ渡りました。
そして各地を旅行し、インド方面へ行った時は、
バラモン教の僧侶から輪廻や菜食などに影響されたという話もあります。。
彼の考え方は古代ギリシャの宗教に大きな影響を与えます。
南イタリアに移ってから、彼は学校を開き、その地の人々に教育をしました。
彼の弟子たちとの生活はまるで修道院のようで、
ピタゴラス学派はピタゴラス教団とも呼ばれ宗教色が濃かったようです。
ピタゴラスの師は小アジアのミレトスに住むタレスでした。
タレスはギリシャ七賢人の一人で、万物の源は水であると説きました。
そして、ピタゴラスは万物は数であると説きました。
その後のヘラクレイトスは万物は流転すると説きました。
テオリア・・・高校倫理の教科書(東京学習出版社)より
つまり世界の成り立ちは神々のわざに帰した神話時代の考え方とは違って、
世界の現象を客観的に観察し、
その原因や状態について考えようする合理的な態度でにささえられている。
このような態度をテオリア(観想)という。
哲学はこのような態度から生まれたのである。
、、ということは数学も科学も哲学ということができますね。
このピタゴラスのブロンズ像に書かれていた詩があります。
意味は、詩なので、ギリシャ人の表現の仕方なので、
訳すとなんか変になります。私が訳すからだと思いますが、、。
そこ
サモスで、おお、詩神よ
あなたはピタゴラスの
黄金の(人生の)叙事詩を
雲を払い
そして現れた星たちを調和させ
お励ましになりました
~A.カレオス~
ピタゴリオ町中のピタゴラス像
ピタゴラスといえば、ピタゴラスの定理或いは三平方の定理として、
私たちは数学の時間に勉強します。
ほかにはピタゴラスは次のことを発見しています。
無理数、三角形の内角の和は180度、奇数の和は偶数になること、正五角形の作図
ほかにピタゴラス音階があります。
ブルフィンチのギリシャ神話と英雄伝説を読んでいたらば、
そこにピタゴラスのことが書いてありました。
彼はギリシャ本土ペロポネソス半島のアルゴスのヘラ神殿を訪問したことがありました。
そこを訪れたピタゴラスは前世で自分の使っていた盾を発見するのでした。
それはアルゴスのヘラ神殿のどこかに飾られていたのようです。
彼は前世ではトロイ軍の英雄エウポルボスEuphorbusだと気がついたのでした。
ピタゴラスの言葉のはいったおみやげTシャツ
アテネのプラカで売っています。
上は現代ギリシャ語読みですが、、、。
すべての事をすべての人に、あなたは説明することが出来ない。
サモスのピタゴラス
現代ギリシャ語→Δεν μπορείς να τα εξηγήσεις όλα σε όλους.
或いは→Δεν μπορείς να εξηγήσιες τα πάντα στους πάντες.
ブログにお越しになった方へ
お手間をかけて申し訳ありませんが
投票よろしくお願いします。
☆☆☆
投票いただき、まことにありがとうございました。
ピタゴラス像はさすがに三角定規を手にしていますね。
三角定規を持っていないほうの手で天を指しているのは、どういう意味かしら。
星座を示しているのかしら? 宇宙の真理を説いているのかしら?
私個人は数学はまったくの苦手科目ですが、これを読んでいて
数学・哲学・天文学などはどこかで共通するものがあるのかもしれないと
そんなことを感じました。
そうやって考えると、私たち人間がこの世に生きていること自体が
数学的で、哲学的で、天文学的数字に近い
奇跡のようなことなのかもしれない。。。。と。
想いはますます膨らんでゆくばかりです(笑)