コス島のディオニュソスの祭壇 |
Ο βωμός του Διονύσου στην Κω
The Altar of Dionysus in Kos
コス島の遺跡の資料を調べました。
コス市内の西遺跡にはディオニュソスの祭壇、オデオン、カサ・ロマーナ、公衆浴場、
ニンフェオン、体育館、そして古代人の家などあります。
ディオニュソスの祭壇とありますが、実際にはディオニュソス聖域もその周辺にありました。
なんというか解説本の解説者によっていろいろで、何とかしてもらいたい物です。
各島には各考古学事務所があるのですが、遺跡の表示とか、管理とか、
なんだかやってるふりしているとしか見えないなぁと思ってしまいます。
解説本のよると紀元前2世紀でヘレニズム時代のものとありました。
しかし、現場の大理石には、紀元前3世紀とありました。どっちなの?
100年くらいの誤差はどうってことないという人はいないと思いますが、、。
夕方歩いたので、西日がきつくて、あまり良く撮影ができませんでした。
長方形の建物の先にスロープのついた石が引いてあります。
ここから祭壇に入ったのでしょうか、、。
このスロープのところに、問題の大理石版、がありました。
紀元前3世紀としっかり書いてあります。
しかしネットやら解説本の中に紀元前2世紀とあったりして、すっきりしません。
さらに調べると、紀元前142年に地震があって破壊され、
当時古代コスの同盟国だった小アジアのペルガモンの国王によって再建されたようです。
それで、紀元前2世紀の物という本もあるのだと思いました。
スロープのちょっと離れたところに、ベンチのような物があって、
パンサーなのかライオンなのかわかりませんが、動物の足のデザインになっていました。
ディオニュソス神といえば、おつきの動物はパンサーなので、そんなことをチラッと思いました。
祭壇から数メートル離れたところに、神殿とその付属物のような遺跡がありました。
ディオニュソス神と言えば、ワインばかりではなく演劇やお祭りの神様でもあります。
それから中世まで廃墟のままありましたが、
コスの聖ヨハネ騎士団の立派な城の材料として、
上の部分はすっかり持ち去られたようです。
廃墟になった古代都市でも、材料が石なので、再利用は可能ですが、
その中で、すばらしい彫刻などがあれば、持ち帰ったりしたのかもしれません。
(たとえばロードス島にあったラオコーンの像とか、、)
それでも、コス島の立派なお城が観光名所になっているので、
まっ、いいか!と思うことにしています。
(ちなみにコス島の騎士団城の門はアスクレピオス神殿から運ばれて作られたそうです。)
遺跡の屋根の部分や円柱が隅にまとめておいてありました。
古代の神様はたくさんいました。
碑文のような物が書かれた大理石の断片がありました。
何が書いてあるのかわかりませんが、長い年月が過ぎているものです。
こんなところにおいて持ち帰る人もいません。
このまま数百年このまんまのように思います。
投票よろしくお願いします。
☆☆☆
それだけ多くの遺跡があって とっても管理の手が回らないんでしょうか。
夏は暑くて歩くのが大変です。炎天下を歩くのには勇気がいりますね。