カミロスのヘレニズム期の神殿小神殿 |
Δύο Ελληνιστικοί Ναοί στην Κάμειρο
Two Hellenistic Temples at Kamiros
(ロードス島カミロス市・・・ロードス市から32キロメートルの南西部)
ヘレニズム期というのは紀元前300年から紀元前100年までを言います。
1.神殿 (ヘレニズム期)
Nαός (Ελληνιστικής περιόδος)
Temple (Hellenistic Period)
2.小神殿(ヘレニズム期)
Nαίσκος (Ελληνιστικής περιόδος)
Small Temple (Hellenistic Period)
2つの神殿を上から撮影しました。
円柱が2本ある神殿と、その先に四角い基礎部分だけが残っているのが小神殿です。
この2つの神殿は泉の広場に隣接しています。
1.神殿 (ヘレニズム期)
Nαός (Ελληνιστικής περιόδος)
Temple (Hellenistic Period)
神殿(ナオス)の内部は下の図のような感じになります。
色分けして配置図を作ってみました。
黄色の入口付近はギリシャ語でプロナオス、イタリア語でポーティコ、英語でポーチです。
水色の内部はギリシャ語でシコスか、あるいはスペイン語のケラという言葉が各国語の中に出てきます。参拝者はここまで入ることができました。
黄緑色はアディトンです。ほかの国の本にもその語が使用されています。アディトンとは立ち入ってはいけない場所で、この場所には神官だけが入ることができました。しばしばここは神託を出すために使用されたようです。
ピンク色の部分は、オピストドモス(Οπισθόδομος)で、神殿の後ろの部屋のことです。プロナオスとのバランスをとるために左右対称に作られたとウィキぺディアには書いてありました。
この写真は後ろ側から撮影しています。
前から撮影すると、ちょっと右横から不明の建物部分を撮影してしまいました。
この神殿のプロナオスは入口の4段の階段で2つの円柱の基礎のようなものがあるところです。
中を撮影するとこのような状態になっています。
参拝者が入れるシコスあるいはケラというところです。
小さな四角い石の基礎が残っています。そこが崇拝の彫像が安置されていました。
その奥の部屋、アディトンなのかオピストドロスなのか、わかりませんが、そこに財宝がおかれ、床下のアナにお金が納められていたようです。
この神殿は、たぶんアポロン神殿ではないかと言われています。
2.小神殿(ヘレニズム期)
Nαίσκος (Ελληνιστικής περιόδος)
Small Temple (Hellenistic Period)
この神殿はポロス石でできているイオニア式神殿だと言うことしかわかりません。
神殿内部の四角い基礎石部分は崇拝用の彫像が安置されたところです。
資料によって微妙に説明が違います。しかしその資料もあまりにも少ないので、
博物館の彫像のプレートの説明なども、全部撮影して順番に読んで、この記事を書いています。
また訂正や新しくわかったことがあれば、加筆していきたいと思います。
投票よろしくお願いします。
☆☆☆
現在の建物で二千数百年後に残っているものが果たしてあるでしょうか?
そう考えると、これらの神殿遺跡のすごさに二度びっくりです。
古代の人々の知恵・能力はいかほどのたかさだったのでしょうね~。
見学が大変です。ゴーストタウンを歩いている感じです。